SANWA MOOK 緊縛の巨匠◎雪村春樹写真集「緊縛の情愛」に掲載されたインタビューです(2014年9月20日発行 三和出版)
聞き手◎ポポロ石川 構成◎三和出版編集部

■緊縛初体験はチャンバラごっこ

― 雪村先生が縛りに興味をもたれたのはいつ頃なんですか?

雪村春樹氏(以下・雪)興味いうか俺らの時代はあれや、チャンバラ映画とか観てな、真似して「御用だ!」いうて。 縛って遊んでたんや。普通にな。

― 捕物帳的な。

雪 そうそう。今やったらおかしいってなるけどな。昔の子供はそんなんが普通やったし、そこでなんか熱いもんがあったんちゃう? でもそれは小学校くらいの話で、その後はすっかり忘れてたわ。 ほんで女の子とエッチしているうちに縛りもするようになって、そのうち女性をモチーフに写真を撮るいうのが重なって、のめり込んでいった感じやな。 縛って大股開にしたからってエロい事ないなぁ……とかさ(笑)。一体なんなんや、どうしたら色っぽくなったりエロくなるんかなぁ……って感じで。

― 先生は元々カメラマンをされていたんですよね?そこで縛りについて考え出したと。

雪 そうそう。で、親父が亡くなって母親がうどん屋やる言うから、カメラマン辞めてその店手伝ってん。 でもそんなんしててもしゃあないから、今度はエロカメラマンになった。 それまでは社カメいうか、コマーシャルとか商品撮ったりしててたんで、全然違うジャンルやな。

― なぜそっちの方向に?

雪 知り合いの監督が東京でピンク映画撮っててな。廣木隆一(※1)っていう、今は一般の監督になったけれども、あの頃、監督連中はしのぎでAV撮っててん。 ほんで俺も監督やるようになって、当時は普通のAVが中心でSMは2割位やったけど、2割が3割になり、3割が4割になりして逆転していってん。

― 最初からSMを撮ろうというわけではなかったんですね。

雪 そうやね。

■実際に女を縛る中で生まれた雪村流緊縛術

― 88年に上京される前に『S&Mスナイパー』でデビューされてますよね。82年頃ですが。

雪 まだ大阪の頃やね。エロカメラマンの時に営業してて、大洋図書の今の会長さんに会って始めたんが最初その頃に雪村春樹いう名前も貰ったわけよ。

― 名付け親は誰なんですか?

雪 中原(冬一郎・別冊S&Mスナイパー元編集長)さんやと思うんやけどね。誰が付けたんかいまだに知らんねん(笑)。でもたぶん中原さんやと思うわ。

縛りの師匠はおらんけれどやっぱり好きやったのは美濃村さんの「羞恥縄」やなぁ

― 縛りの師匠のような方はいらっしゃったんですか?

雪 おらん。ただ好きやったんわ美濃村晃さん(※2)のパターンいうんか、やっぱ美濃村さんは羞恥縄やったし、それが自分に合うてたんちゃうかなぁ。

― では縄の基本技術はご自身で磨かれていったんですか。

雪 そうそう。実際に縛っていく中で見つけていってん。「こうしたら気持ちいいんかなぁ」とか「寝ながらのほうがスムーズやなぁ」って感じで。 ほんで自分が撮るようになると「見せ方」も考えるようになるしなぁ。それに俺は縛るだけやなくて、作品の中でもモデルと絡むやん? そこでまた考えるわけよ。「どう縛って責めたら女が悦び、美しくなるか」って。その結果が今のスタイルになったわけやから、簡単に真似でけへんわな。

― 形だけ真似しようと思っても本質は掴めないわけですね。

雪 そういうことですわ。

― 美濃村さん以外に、影響とういか、好きな縄師さんはいたりしましたか?

雪 飯田(濡木痴夢男※3)さんなんかは見てて自分と逆のパターンやったから、勉強になったと思うよ。 「これは……俺、せえへんなぁ」とか、「俺もこれはわかるなぁ」とかな(笑)。別に俺も責め縄は嫌いじゃないのよ。 嫌いじゃないけど、こっちのほうの表現に行ったからなぁ。

■スタイル確立の原点『縄奉仕』シリーズ

― 雪村先生の初期の緊縛ビデオは、時代を反映した作品が多いですよね。ボディコンや、今では珍しい綿ロープとか……。

雪 そうやね。

― これはメーカー側の意向というのがあったんですか?

雪 そうそう。全部そう。

― その中で『雪村春樹の世界』シリーズ(大洋図書)は今のスタイルに通じる作品ですよね。

雪 まぁ、タイトルそのまんまやしな(笑)。他の作品はあくまでメーカー側が作りたいものを形にするっていう仕事やったけれども、 この作品は俺の世界観やからそこはやっぱ違うなぁ。

― 縄も麻縄で……。

雪 麻縄でな。この頃からあんま変わってないねん(笑)。

緊縛ショーは責め縄になる
俺は動画や写真の表現やからじっくり羞恥縄できんねん

― 雪村先生のスタイルが確立された作品というと、92年から始まる『縄奉仕』シリーズが一番に挙げられます。

雪 まぁ、確立いうか、おんなじことばっかやってるだけの話やけどな(笑)。ただそれまでのメーカーの仕事は「縛ってしばいてくれ」とかな、「蝋燭してくれ」とか、 そんなんみんながやってることやん(笑)。「俺でのうたってええがな!」ってなってくるわけやろ。まぁ、それもいろいろやりようはあんねんけども それはそれでやりつつ「もっと面白いバリエーションがありますよ」っていう事を確立できたんが、やっぱり自分で作品を作りだしてからやな。

― それが『縄奉仕』だったと。

雪 その頃はなんか「地獄縄」とかなぁ、SMも完全に団(鬼六)さんの世界やったから、そんな事ないやろう思ってな。みんながそんなたいそうに縛って折檻して、 女を痛めつけてへんやろう思って、ほんでそう魅せていけるか思ってやったわけやね。でな、エンターテイメント(緊縛ショー)の人らは時間も短いし、凝縮したリアクション見せなあかんから 責め縄になっていくねん。これはしゃあない。俺なんかはじんわり動画とか写真で見せられるから、そういう羞恥縄とかができんねん。

■美濃村晃、最後の作品『縄炎~美濃村晃の世界~』

― 先ほど羞恥縄の話で美濃村さんの話が出ましたが、雪村先生は89年に『縄炎~美濃村晃の世界~』を監督されています。

雪 あれはシネマジックの社長が作りたい言うて作ったんや。シネマジックの社長も元サン出版の編集やから、美濃村さんも団さんも、編集として付きおうてた人やしな。 そういう思いもあって作りたかったんやろな。

― そこでお話がきたんですか。

雪 ありがたいことにな。でも実際はどうやって作ったらええねん思ったけど(笑)。だってAVちゃうやん。AVで売るのにどないすんねんってなぁ。

― 出演者も男ばかり」ですし。

雪 あのメンバーじゃ俺なんかひよっこや(笑)。美濃村さんは脳卒中やって喋られへんかったし、半身不随やったし……。でも撮影寛解かやってるうちに喋れるようになってん。 最初は団さんにナレーション入れて貰おうか思ってたけど、美濃村さんが喋れるようになったから頼んで、そしたら偉いもんや、美濃村さん、お姉ちゃん触ったりして(笑)。 それから「第二弾やろう」って美濃村さんに言っていただいたんやけど、なかなか横畠(邦彦※4)さんがやろう言わへんから、できないまま美濃村さんも亡くなりはったけどね。

― この作品は美濃村さんの生前の姿を残した、SM史に残る貴重な作品になりましたね。

雪 そうやね。ありがたい話や。

■勃起する表情がでるまで何時間でも我慢する

― 『縄奉仕』や『雪村春樹コレクション』を観ると、以前からこういう作品を作りたかったということがよくわかります。

雪 せやな。それは自分で制作するようになって、自由にできるようになったってことやね。自分で縛って絡みながらカメラに指示したりしてな。 あんな、縛りいうのは、相手の性癖と自分の性癖の勝負やねん。

― なるほど。

雪 俺がいまだに自分の映像を自分で編集するのは、他の人間にはでけへんからやねん。だからな、例えばマニアックなSMのビデオとかって、定点で撮ってるやん。そんである程度の尺いったら、勃起するやん。 だからそういうところまで映したらんと、女の表情も何もかも見えてけえへんねん。どんだけ我慢してそこまでもってこれるかや。 これは女の子にM癖があんのと、カメラマンの集中力や。だからおかしいもんでな、カメラマンが三脚立ててあっち向いてたら、絶対に来ん。カメラマンもぐ~っと入り込んで初めて来る。 だからそこも勝負やねんな。

― 相手あってのものですしね。

雪 マネキン縛ってんのとちゃうからな。

「女を縄で縛る」いうことはな相手と自分の性癖の勝負やねんマネキン縛んのと訳が違うわ

■M女性の中にある生まれ持った芝居心

― 相手と言えば、女性は何を重視して選ばれているんですか?

雪 それはやっぱり、M癖があるか否かやな。そこがないと勝負でけへんからなぁ(笑)。Mはリアクションしたいねん。もって生まれた芝居心いうかな。そのバリエーションやキャラが多いほど面白いわけや。 プライベートエッチしてても、淡白な子はなんぼカラダきれいでべっぴんかて飽きるやろ?逆に美人やなくても「こんなんどこで覚えたんや?」「いや知らん」みたいな、なんか変なもんが憑依したみたいにリアクションする子のほうがええやん(笑)。 「こんなんなるなら布団から出れへんように縛っとこか」みたいなな(笑)、そういうとこから始まってんねん。俺の縛りはな。

― そういう部分をいかに引き出せるかの勝負なんですね?

雪 そういうこっちゃ。

縛りの美しさを考えたら麻縄は4ミリや6ミリで縛ったら手首のラインが出えへん

雪 ただな、リアクションいうても、ほんまに怒った顔とか、ほんまに苦しい顔とかは、あんま見たないな。人情的に。

― 今は徹底的にハードに責めるというのが主流ですよね。

雪 ま~、それはなかなか俺の美学にはなれへんわ。ウチに来る子でも、高手小手できっつい縛りのほうがエクスタシーの表情になる子もおるけど、なんというかまぁ、おもろないわな。

― 雪村先生の羞恥縄のスタイルとは違いますしね。

雪 そう。だからそういう子やと成り立たへんねん。

■気持よくMになれる舞台を用意する事が大切

― 「美学」で言うと、雪村先生は細い縄を使いますよね?

雪 4ミリな。4ミリ使ってる縄師なんて他におらへんやろ。

― 『S&Mスナイパー』が緊縛グラビアでよく使ってましたが、あれは雪村先生の影響で?

雪 そう。6ミリ使ったら女の子の手首のラインが消えてまうやろ?4ミリやと二重にしてもちゃんとラインが出る。外人さんみたいに大きいカラダの子ならあれやけど、日本人の子は足首なんかも、6ミリの縄じゃラインが出えへんねん。

― 日本女性の緊縛美を考えた結果、4ミリだったんですね。

雪 まぁ、太い縄使う時もあるけど、それはそれや。自分の表現でいえば4ミリやねん。

― 麻縄はどう処理して使用されているんですか?

雪 そんなもん、一回水にさらして乾かして終いや。使ってる縄は(長さ)7メートルやけど、(水で縮むので)7.5メートルに切ってな。油も使わへん。女の脂だけや。 これは何でかいうとな、撮影で使っとると半年で切れんねん。保たへんから縄に執着する時間もあれへん。

― なるほど。拘りでもうひとつ、先生の作品には徹底した映像美がありますよね。

雪 照明部入れてるからな。いまどき少ないで。採算取れへんわほんまに。でもそうやないと表現できへんからなぁ。ほんで女の子も、そういう舞台やから演技してくれんねん。 昔な、単体女優の子を口説き落として撮ったんやけど、こういう撮影やし人少ないほうがええか言うたら、「多いほうがいい」言われてひっくり返りそうになったことあるわ(笑)。 でもそういう事やねん。女王さんだけやなくM女も、M女する舞台あげてやらんとできへん。だからわしも着物はだけさすオッサンの役やったらんと(笑)。悪い男やったらんとM女も気持ちようM女を演じてくれへん。

■ゆるく縛るほうがきつく縛るより難しい

― 「演じる」という言葉は先程の「リアクション」や「芝居心」に通じるお話ですね。

雪 女はみんな、相手によって変わんねん。男は変わらへんけどな。で、それが女の芝居心であり、縛られた時のリアクションになるわけや。 ほんで、俺の縄はゆるいねん。ゆる縄や。ただそのゆるさの中で女は芝居すんねん。俺はこれを「縄のあそび」いうてんやけどな。自動車のハンドルにも「あそび」ってあるやろ。 あれと一緒や。ガチガチに縛ってもうたら、気持ちよう芝居でけへん。リアクションの幅が限られてしまうわけや。だからみんな、縄も責めも厳しくなっていくねんで。

― 厳しくして責めて反応させようとするわけですね。

雪 そういうこっちゃ。だからこれもよう言うねんけど、きつうは縛れるけど、ゆるうは縛られへん。ゆるい縄は難しい。女もゆるいと「もうちょっときつうしてや」ってなるんや。 そこできつく縛るのは簡単や。でも俺はそこで幅を見てんねん。

― そこに女性の個性であり色気があるわけですからね。

雪 誰縛っても同じリアクションなら、縛りなんて面白うないやんなぁ。こっちも相手を見て縛り、責める。女もそれにリアクションしていく。それがお互いの性癖の勝負っちゅう話や。 ただな、これがショーやと「何しとんねんって!」なるからな。やっぱ吊ったりきつう責めたりせんともたへん。でも動画やら写真やとこれが成り立つねん。

― だからこそ映像や写真で表現されていると。

雪 そう。だから昔はショーの子は使わんかった。リアクションが一緒やねん。その子も頑張らなあかん思うからさ、同じようなリアクションしかせえへん。そんなもん俺が縛ろうと素人が縛ろうと一緒やん。面白いわけあらへんよなぁ。

女は縄のあそびの中で芝居する
もしガチガチに縛ってもうたら気持ちよう芝居でけへんやん

自分が楽しめへんかったら観てる人間も楽しめへん
だから飽きたら終いやわな

■これからのSMは趣味の世界に回帰する

― 先生が縛られたモデルさんの中には、先生に心酔して弟子志願した子も多いですよね。

雪 笠木忍(※5)は十八くらいの時に「SMやりたい」いうて、ウチに来たんや。そやから「そうか。なら撮るか?」いうたんやけど、面接やからカメラマンおれへんし、しゃあないからADにカメラ回させてな(笑)。 で、縛ったんやけど、若いからすぐに縄痕消えるやん。そしたらそれ見て「縄痕がつかない」とか文句言うとったわ(笑)。

― 仕事ではなく、本当にSMが好きだったんですね。

雪 だから業界で長くやれてきたんちゃうかな。普通は十年もやったら社会復帰するで。ほんま社会復帰せえへんわ。一生無理やであの子(笑)。これは書いてもろうてええけどな(笑)。

― (笑)お弟子さんは今、何人くらいいるんですか?

雪 二十人くらいちゃうか。一番弟子は大洋図書の会長や(笑)。

― 先生の今後の活動についてお聞きしますが……。

雪 今後か……。俺もなぁ、もうそろそろフェードアウトする歳なんちゃうんかなぁ。

― え?引退って事ですか?

雪 いや、別にSMせえへんいう話やないで。今までのような形では……まぁDVDが出せているうちは続けるけれども、その先はもう趣味の世界や(笑)。 元々俺らの頃は、これで食えるなんて思うてなかったもんなぁ。それに今はもう、ビジネスとしてのSMは終いやろう。儲からへん。でもそれでええん違う。 そもそも趣味の世界やからな、SMは。そこに戻るだけや。俺も今までそうやったしなぁ。

― あ、そうでしたね。実はデビューした後、何度か間があいてるんですよね。

雪 そやから今までと同じや。

― 前にやめられたときは、理由は何だったんですか?

雪 俺のテンション。

― 飽きちゃったんですか?

雪 そうやね(笑)。でもほんまな、自分が楽しめへんかったら観てる人も楽しめへん。そういうことやねん。表現ってな。(了)

※1 廣木隆一監督…日本の映画監督。代表作に『東京ゴミ女』『余命一ヶ月の花嫁』等。『縛師』には雪村春樹氏も出演。
※2 美濃村晃…『奇譚クラブ』『裏窓』の元編集長。絵師・喜多玲子でもあり、緊縛師、作家でもある。日本のSM文化の父。
※3 濡木痴夢男…『裏窓』二代目編集長。70~80年代のSM誌を代表する緊縛師であり、作家でもある。
※4 横畠邦彦…アートビデオと並ぶ老舗緊縛AVメーカー『シネマジック』代表。別名・吉村彰一。
※5 笠木忍…2001年にAVデビューし、人気ロリ企画単体に。その後、女優活動の他、雪村氏の弟子・雪村春雛としても活動。